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『三幕の殺人』と『三幕の悲劇』を比較(ネタバレ注意!) [アガサ・クリスティー]

以前のにせみさんの記事にあった、アガサ・クリスティーの↓の作品。
三幕の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

三幕の殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

  • 作者: アガサ クリスティー
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2003/10
  • メディア: 文庫
三幕の悲劇 (創元推理文庫 105-15)

三幕の悲劇 (創元推理文庫 105-15)

  • 作者: アガサ・クリスティ
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1959/06/20
  • メディア: 文庫
両者とも英題は"Three Act Tragedy"
ただ、米国では"Murder in Three Acts"とも呼ばれています。

で、米版の"Murder in Three Acts"と英版の"Three Act Tragedy"は、実はオチが同じにもかかわらず、犯人の動機がまるで違う作品なのです。
ハヤカワ・クリスティー文庫と創元推理文庫を比較すると、どうもクリスティー文庫は英版、創元推理文庫は米版を底本にしているようです。(確証はつかめなかったのですが。)
どのように違うかというと、ここ(ネタバレ注意!)に簡潔にまとめられていました。

なぜ違っているのか、と言われると、よく分かっていないのが実情のようです。
ここのページの下の方に、『三幕〜』に関する情報が記載されていますが、何しろネタバレに繋がるので、これについて論じている文献もあまりないようです。
先日出版された「アガサ・クリスティーの秘密ノート」にも、このことは触れられていませんでしたし。
若竹七海さんによれば、少なくとも3つのバージョンがある、とも[あせあせ(飛び散る汗)]

ここではハヤカワ版と創元版の違いについて記していきます。
ハヤカワ版はクリスティー文庫(初版;長野きよみ訳)、創元版は創元推理文庫(71版;西脇順三郎訳)を参照しました。
以下、『三幕〜』のネタバレを含みますので、ご注意ください[exclamation×2]








まずは、核心部分の「動機」について。
創元版(おそらく米版)において、ポワロはこのように話し始めます。
「・・・、殺人にはそれほどたくさんの動機はないものです。恐怖と、利益と、そして女性です。」(創p.306)
そして、次のように続けます。
「・・・殺害の動機は恐怖だったのです」(同上)

しかし、ハヤカワ版(おそらく英版)は違います。同じ場面において、ポアロはこう切り出すのです。
「・・・、”シェルシェ・ラ・ファム(犯罪の裏に女あり)”という格言があります。わたしもそこに、動機を見つけました。」(クp.364)
つまり、動機は女性なのです(゜;)
犯人はある女性と結婚を考えていたのですが、自分には既に妻がおり、しかも、(おそらく英国の)法律では、
「結婚した女性がどこかの刑務所で終身刑に服しているのか、精神病院に収容されている場合・・・”どちらの場合も、離婚はできません”」(クp.366)
で、被害者はこの事実を知っていたため、犯人により始末された・・・。
ポアロによって精神病院に妻がいることを明かされた犯人は、逃げてしまいます。
ポアロは首を振りながら、こう言います。
「いや、彼は退場の方法を選ぶだけです。世間の目からゆっくりと消えるか、舞台から素早く消えるか」(クp.372)

では、創元版の動機である「恐怖」とは?
「それは博士(注:被害者のこと)が精神病科のお医者だったためです。」(創p.306)
ただ、この場合、精神病科にかかっていたのは犯人その人でした(゜◇゜)
「・・・病気は全快していなかったのです。彼はうまく世間にそれを隠していた。しかし、彼は、心配してくれる友人の経験をつんだ目をかくす自信がなかったのです。」(創p.308)
被害者(=友人)が自分の自由を束縛すると思った犯人は、殺人計画を立てます。
そして、ある女性を利用します。
「・・・、ルーマスを去って外国へ行く口実が欲しかったのです。彼は当分の間友人を避ける筋の立った口実が欲しかった。それで、彼は得意の芸道からみて、逃避の理由には濡れごとにかこつけるのが一番いいと考えつきました。」(同上)
ポワロに、警官と精神病の専門家が来ている、と言われた犯人は、こう話し始めます。
「僕は一番偉いのだ。君たち愚か者のつくった法律がなんだ。あの三人は殺されねばならなかったのだ。それはぜひ必要だったのだ。三人が死んで遺憾に思う。が、殺す必要があったのだ。どうしても僕の安全のために。」(創p.313)
犯人はポワロが嘘をついている、と言いながら、ドアの外へ向かいます。ドアの向こうから彼の金切り声と人のささやく声。ポワロは言います。
「お嬢さん、すべては終わりました。」(創p.314)

これだけ動機が違うのですが、第一の殺人の目的はハヤカワ版、創元版ともにほぼ同じなんですね( ^_^)/



他にもハヤカワ版と創元版の違いを挙げていきましょう。
創元版では、犯人の手がかりとして第二の被害者の日記に書かれた以下の文面が重要となってきます。
「Mのことが心配でならない。どうもようすが好ましくない。」(創p.91)
Mが犯人のイニシャルに相当するのですが、Mがイニシャルの登場人物は何人かいるために、これがミスリーディングとなっています。
ちなみに、この場面はハヤカワ版でいうp.106に相当するのですが、ハヤカワ版にはそのような記載はありません。

例えば、登場人物の一人サタースウェイトは、ある人物に疑いを持ちます。
「<カラスの巣>でのあの夜は、極度に緊張していたようですし、・・・。ニコチンによる毒殺に関する新聞記事の切り抜きを持っていたというミス・ウィルズの証言もありました。」(クp.352〜353)
創元版では以下のように一文追加されています。
「・・・あの晩『鴉荘』でひどく神経をとがらせていました。・・・もちものの中にニコチン中毒に関する新聞の切抜きをもっていたという変な話も聞きました。それに・・・日記にもMという人物が出てくるところがあります。」(創p.296〜297)

また、マーガレットという名前の人物が電報をよこす場面がありますが、ハヤカワ版では、
「『にらんだとおりだ。彼女はこの事件と関係があるんだ』」(クp.312)
で文章が終わっているのに対し、創元版では以下の一文が追加されています。
「『結局われわれが正しかったんだ。彼女こそ事件に何か関係があるんだ』そして彼はこうつけ加えた。『マーガレット—・・・の日記にあった頭文字のM。とうとうわかりかけてきたぞ』」(創p.260)

もう1つ同じような例を記しておきましょう。
「『●●●に、どうして事故をでっちあげたりしたのか、その理由をお訊きなさい。警察が疑っているというのです。なんと答えるか見てみようじゃないですか』」(クp.244〜245)
「『●●●に、どうしてあんな事故をでっち上げたか聞いてごらんなさい。警察が疑っているぞと言って、彼がなんと返事するかたしかめてごらんなさい』
 『あなたは—』
 『たいしたことではありません。でも、・・・の日記に走り書きがあったのです。“Mのことが心配だ”とね。Mというのは、●●●のことだと思います。なにもしないでいるより、なんでもいいからしたほうがいいですからね』・・・」(創p.207〜208)



創元版とハヤカワ版では、犯人が結婚を考えていた女性の態度にも微妙な違いが見られます。
ハヤカワ版ではその女性との結婚が動機なので、二人が愛を確認し合う場面がいくつか見られます。
「『昨日はできたじゃないか。あのとき—ぼくが死んだと、きみが思ったとき』
 『だって、あのときは』(彼女は)落ち着いた声を出そうとつとめた。
 (彼は)唐突にいった。「・・・、この殺人事件はもう現実のものとは思えない。・・・(中略)・・・舞台の上では何度も愛を語ってきたのに、現実生活では気後れがしてしまって・・・ねえ、ぼくなのかい、それとも●●●なのかい、・・・? 知りたいんだ。昨日のあのとき、ひょっとしてきみはぼくを・・・』
 『あなたの思ったとおりよ・・・』
 『ぼくのすてきな天使』(彼は)叫んだ。
 『・・・、教会墓地でキスなんて、だめ・・・』
 『どこでだろうと、キスがしたいんだ・・・』」(クp.322〜323)

同じ場面、創元版では二人の間に微妙な距離感が見られます。
「『君はきのうそう呼んだよ。あのとき、ほら、僕が死んだと君が思ったときさ』
 『ああ、あのときは』
 (彼女は)声を冷静に響かせようとしたが、理由があって、彼女は話題を変えたほうがいいと思った。彼女はせきこんで、
 『●●●はきょう、何してるかしら?』
 『●●●かい? なんであの男のことが気にかかるの?』
 (彼女は)いった。
 『あたし、とても●●●が好きなんですもの』
 とにかく彼女は、こう言って満足げだった。彼女は横目で(彼を)盗み見た。彼は嫉妬してるのだろうか? たしかに彼は顔をしかめていたようだ。
 (中略)
 彼女は思った。『なんて変な気持がするんでしょう。虫の知らせかもしれないわ』
 彼女はまた身震いした。」(創p.269〜270)

こんなシーンもあります。創元版では、
「彼はつめたくいい放った。」(創p.280)
で終わっている場面ですが、ハヤカワ版では以下のように続きます。
「彼は冷ややかにいった。
 サタースウェイトは微笑した・・・(中略)・・・『他にやりたいことがあるといったのは、どういう意味なのだね・・・』
 (彼は)恥ずかしげな表情を見せた。ハノーヴァー・スクエアで行われたる結婚式に何度も参列しているサタースウェイトにはよく見覚えのある表情だった。
 『ええと、じつはね、ぼくは—ええと—あのう、(彼女と)ぼくは—』
 『それを聞いてうれしいよ』サタースウェイトはいった。『ほんとにおめでとう』
 (中略)
 『そういってもらってうれしいよ、サタースウェイト。ほら、ぼくは、彼女が好きなのは●●●なのだと思いこんでいたんだ。』・・・(中略)・・・『そうではなかった・・・』」(クp.336〜337)

真相が明らかになったときの彼女の態度も微妙に異なります。ハヤカワ版では、
「『これはほんとうなの? ほんとうなんですか?』
 ポアロは彼女の肩に両手をかけ、しっかりと優しく触れた。
 『ほんとうですよ、マドモアゼル』
 あたりは静まりかえり、(彼女の)すすり泣きが聞こえるだけだ。」(クp.371)
に対し、
「『ほんとなの? ホントなの?』
 彼(注:ポワロ)は両手を彼女の肩にやさしく置いた。
 『ほんとなのです、お嬢さん』
 (彼女は)言った。
 『先日、田舎に行ったとき—ずっと心配だったの。どうしてかわかりません。何か怖かったんだわ、それは—そのわけは—』
 『女の勘か・・・』と(犯人は)皮肉に笑った。」(創p.312〜313)

このように、探せば探すほど結構違いが出てくる両版ですが、基本骨格はそれでも同じなんですね(・。・)
この作品からも、クリスティーの創作方法が垣間見られて面白いです。


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コースケ

これは驚きました。
僕は早川の、しかもクリスティ文庫が
出る前のものを読んだことがありますが、
底本が違うってことがあるのですねえ。

スーシェさんの早く日本でも放映してほしいですね。
by コースケ (2010-05-03 21:38) 

チヨロギ

おもしろいですねー! 2つも3つも違うバージョンがあるなんて。
作者としては、どのアイディアもボツにしたくなかったということでしょうか?
by チヨロギ (2010-05-03 22:13) 

雉虎堂

本当に興味深いですね
『三幕の殺人』も読みなおしてみます(*^_^*)
by 雉虎堂 (2010-05-05 16:11) 

Yuseum

>コースケさん、スーシェ版ではどっちの(あるいは違う?)動機になっているかも、興味深いですね[ふむっ]

>チヨロギさん、なるほど。ボツにしたくなかったという可能性は考えられますね。
あるいは、先に米版が出版されたようですが、そのことを忘れていたとか[あせっ]

>雉虎堂さん、是非読み直してみてくださーい。
新たな発見があったら、お待ちしています(^_^)v
by Yuseum (2010-05-08 03:19) 

nisemi

Yuseumさん、こんばんは!
リンクありがとうございます[にこっ]

そして力作レポート『三幕の殺人』の謎に迫る、ありがとうございます!
ええええ、「オチが同じにもかかわらず、犯人の動機がまるで違う」って…!
上でチヨロギさんがおっしゃっているように、わたしも「ボツにしたくなかった」説に一票です(^^;)。

こういう読み比べって楽しいですよね! もしかして『三幕の殺人』以外にもこんな隠しコマンドがある作品があるのでは…?と思い始めてしまいました。
また新しい情報をお待ちしております!(^^)ゝ
by nisemi (2010-05-08 19:40) 

Yuseum

nisemiさん、こちらこそありがとうございます!
にせみさんが記事にしていなければ、ここまで調べようとは思いませんでした[にこっ]
by Yuseum (2010-05-11 00:51) 

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