『シャーロック・ホームズ 絹の家』〜61作目の正典?〜 [ホームズ&ライヴァルたち]
シャーロック・ホームズ―ガス燈に浮かぶその生涯 (河出文庫)
- 作者: 小林 司
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 1987/06
- メディア: 文庫
では、時代設定の話が出てきましたので、少々マニアックですが≪ハンチング帽の男と絹の家≫事件の年代学的な考証を少し行ってみましょう(._.)φ
先にも記したように、この事件は「一八九〇年の十一月も終わりに近い頃」に発生したわけで、その前に「ホームズはきわめて残忍で執念深い敵に、自分が瀕死の状態にあると思わせるため、三日三晩、食事も水も一切絶ち、あやうく餓死しかけた」と書かれており、この事件は「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」(Kindle版、) 所収の『瀕死の探偵』The Adventures of the Dying Detective の直後に起こった事件だということが示唆されています。
ここで、先にご紹介したW・S・ベアリング=グールドによる「シャーロック・ホームズ年譜」をご存じの方なら、
「おや(。)?」
と思うかもしれません。
年代学については、ベアリング=グールドの研究・発表に基づく小説世界内の時系列順が、詳しくまとまっていることもあり最も有名で、例えば、以下の本においてもそれが採用されています。
シャーロック・ホームズ完全解読 (別冊宝島 1965 カルチャー&スポーツ)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2013/02/13
- メディア: 大型本
しかしながら、の本を見てみると『瀕死の探偵』は1887年11月19日(・ω・)?
実は、『瀕死の探偵』が発生した事件の日付は、ワトスンの最初の結婚の年に依存し、ベアリング=グールドは「ワトスン結婚3回説」を提唱しているため、こんなことになっているのです。
『瀕死の探偵』には、「結婚して二年になるわたしのことを訪れてきた(ハドスン)夫人」(日暮雅通 訳)とあり、「霧深い十一月の」(同上)ともあるので、この事件は、
・ワトスンが結婚して2年後の11月
に発生したことが分かります。
問題は、「ワトスンがいつ結婚したのか?」ということですが、この結婚は通常、『四つの署名』The Sign of Four(Kindle版、)で出会ったメアリー・モースタンとの結婚であり、『四つの署名』の事件発生年も諸説ありますが、これは(ベアリング=グールドも提唱している)1888年が有力であるため、『瀕死の探偵』は1890年11月の事件という説があるのです。
実際、ベアリング=グールドも『瀕死の探偵』の注釈(詳注版シャーロック・ホームズ全集 (3) (ちくま文庫))において、
「ブレイクニー、クライスト、フォルソム、パトリック、ペーターセン、スミス、ザイスラーはこの事件を1890年に起きた事件だとしている。また、ベル、バウチャー、スターレットは1888年という見解をとっている。また、アンドルー、ブレンド、ハリソンは1889年という見解をとっている。しかし小生はただ一人、1887年説をとっている。」
・・・というわけで、『瀕死の探偵』の事件発生年については結論が出ていないわけです。
ただ、 『ブリキ製文書箱』のワトスン未発表原稿は戦火で消失したけれど写しを発表するよ〜のスタンスで、「シャーロック・ホームズの秘密ファイル」 (創元推理文庫)などのパスティーシュを執筆したジューン・トムスンは、以下の本において(明言はしていないものの)『瀕死の探偵』を1890年だとしているし、「新・注釈付きシャーロック・ホームズ全集」(未訳)で有名な米国のシャーロッキアン、レズリー・クリンガー(後述)も、1887〜1890年の諸説があり断定できないとしながらも、一応、1890年に設定しているので、『絹の家 シャーロック・ホームズ』もそれに従ったのでしょう。
1891年よりストランド誌に順次公表された『ボヘミアの醜聞』、『赤毛組合』、『花婿の正体』、『オレンジの種五つ』(「シャーロック・ホームズの冒険」所収)は一見、『四つの署名』の後に発生した事件のように書かれていますが、そうすると年代学的に辻褄の合わないところが出てくるのです。
そのため、ベアリング=グールドは、
「これらの事件はワトスンの(すぐに亡くなった)先妻との結婚生活の間に発生した事件であるが、公に自分に先妻がいたことを公表すれば、1891年時点で結婚生活中のメアリー(・モースタン)の心を傷つけてしまう。だから、一種のごまかしを行った。そうすれば、『私の妻』と書いても、メアリーや読者は当然メアリーのことだと思うだろうし、 嘘が大嫌いな誠実なワトスンにとっても、嘘を書いているわけではない(`・ω・´)シャキーン」
と考えたわけですf^_^;
ベアリング=グールドはワトスンの最初の結婚を1886年11月と設定しているから、『瀕死の探偵』の1887年と少し矛盾が・・・という気がしますが、『瀕死の探偵』の原文を読むと、
…in the second year of my married life…
「私が結婚して二年目」だから、あながち間違いでもない
(そして、天候学的には1887年11月19日は「霧深い十一月」だったのです。)
もう少し年代学的なことを。
『絹の家 シャーロック・ホームズ』では、地の文においても「私の妻」という表記ではなく、「メアリー」と書かれているのにやや違和感を感じたのですが、これは「ワトスンが少なくとも2回は結婚した」からです。
『絹の家』にもメアリーがその後亡くなったことを示唆する文章があるのですが、これは『空き家の冒険』The Adventure of the Empty House(「シャーロック・ホームズの生還」所収)に、
「どこで聞いたものか、ホームズはわたしの身に起こった悲しい離別を知っていて、言葉よりも態度で温かい同情を示してくれた。
『悲しみには仕事がなによりの良薬になるよ、ワトスン。(以下、略)』」(日暮雅通 訳)
と、メアリーが亡くなったことを示唆する文章が挿入されています。
そして、ワトスンがその後再婚したということは、ホームズが執筆した(と言われる)『白面の兵士』The Adventure of the Blanched Soldier(「シャーロック・ホームズの事件簿」(Kindle版、)に、
「一九〇三年一月、(中略)。善良なるワトスンはそのころ、わたしを見捨てて妻と結婚生活を送っていた。それは、わたしたちのつきあいをとおしてたったひとつ思い出せる、ワトスンの身勝手だ。」(日暮雅通 訳)
"The good Watson had at that time deserted me for a wife, the only selfish action which I can recall in our association."
との記載があることから、判断できます。
(先に挙げた、ジューン・トムスン
「ホームズとワトスン―友情の研究」によれば、もし、ここに書かれた妻がホームズも良く知るメアリー・モースタンのことであれば、"a wife"と素っ気なく書かずに、"his wife"(愛妻)という言葉を使った方が自然である、と主張しています。)
だから、 『絹の家 シャーロック・ホームズ』は先述のように、第二次世界大戦中にワトスンが回想して執筆した作品であるため、結婚が2回か3回かはさておき「私の妻」ではどの妻か混乱するから、「メアリー」と記述しているものと思われます。
・・・とはいえ、"The World of Holmes"というホームページにも記載があるように、 「ワトスン結婚1回説」(メアリー・モースタンのみと結婚)もあるわけです。(→こちらを参照)
それは、先に記した『空き家の冒険』の引用部分を原文で見てみると、
"In some manner he had learned of my own sad bereavement, and his sympathy was shown in his manner rather than in his words. "Work is the best antidote to sorrow, my dear Watson," said he;~"
つまり、誰と死別したのか明確には書かれていないので、『悲しい離別』とはワトスンとメアリーとの間に生まれた子供のことでは、という説も一応成り立つわけです。
その真相はさておき、『絹の家 シャーロック・ホームズ』では先にも触れたように≪ハンチング帽の男と絹の家≫事件が解決してしばらく後に、メアリーが亡くなったことを示唆する文章があるので、「ワトスン2回結婚説」に基づいて書かれたものと推察されます。
最初に、この『絹の家 シャーロック・ホームズ』はコナン・ドイル財団が初めて公式認定したホームズ作品、と紹介しましたが、財団が認定したからと言って諸手を挙げて「これはシャーロック・ホームズの新作だ!」と歓迎できるかどうかは、難しいところ。
The New Annotated Sherlock Holmes 150th Anniversary: The Short Stories (2 Volume Set)
- 作者: Arthur Conan, Sir Doyle
- 出版社/メーカー: W W Norton & Co Inc
- 発売日: 2004/11/30
- メディア: ハードカバー
最後に、数多あるシャーロック・ホームズの贋作の世界から1つだけ。
(贋作については、先述のシャーロック・ホームズ完全解読 (別冊宝島 1965 カルチャー&スポーツ)に簡潔にまとめられています。)
その昔、シャーロック・ホームズ61番目の正典ではと目された短編がありました。
『指名手配の男』The Case of the Man Who Was Wanted
という作品がそれで、当時はアーサー・コナン・ドイルの名前で「コスモポリタン誌」1948年8月号に掲載されたのですが、後にアーサー・ホイティカーという人物が1910年に書いた贋作だと判明しました。
その辺の経緯はWikipediaにも書かれていますが、過去に小学館の子供向けホームズ全集の中に『ねらわれた男』 (名探偵ホームズ全集 10)と、正典の1つとして組み込まれていたんですね(゚д゚)!
確か解説に、この「61番目の正典」の発見の経緯が書かれており、子供心に興味深く読んだ思い出があります。
(この全集、 『のろいの魔犬』 (名探偵ホームズ全集 2)、『悪魔のダイヤ』 (名探偵ホームズ全集 8)、『恐怖の棺桶』 (名探偵ホームズ全集 9)とか…、オリジナルが何か分かりますか?(^^))
『指名手配の男』は、現在品切れですが「ホームズ贋作展覧会」 (河出文庫)で読むことが出来ます。
そして、こういう経緯のため、『指名手配の男』は単なる贋作ではなく「経外典」(アポクリファ)に分類されることもあります。
経外典、つまり、ホームズ外伝とも呼ばれる作品は、「コナン・ドイルが書いたホームズ贋作」とでも言えばよいでしょうか?
代表的な作品として、以下の6つの作品を読むことが可能で、いずれも下に示した文庫に収録されています。
『王冠のダイヤモンド』The Crown Diamond(戯曲;後にこれを短編化したのが「シャーロック・ホームズの事件簿」(Kindle版、)所収の『マザリンの宝石』)
『まだらの紐』The Speckled Band(戯曲)
『競技場(フィールド)バザー』The Field Bazaar(パロディ)
『ワトスンの推理法修業』How Watson Learned the Trick(パロディ)
『消えた臨時列車』The Lost Special(ホームズらしき人物が脇役として登場)
『時計だらけの男』 The Man with the Watches(ホームズらしき人物が脇役として登場)
お久しぶりです~
これは気になる作品ですねえ。
シャーロキアンではないですが、
ホームズパスティーシュは数多出てますが、
なかなか文庫化しない事に不満があるんですよねえ。
贋作博覧会は中古で探してみます!
by コースケ (2013-05-18 22:40)
コースケさん、早速nice!&コメントありがとうございます[わはっ]
そうなんですよね。単行本だからお値段が[あせっ]
贋作展覧会は Yuseumも中古で買いました(^_^)v
by Yuseum (2013-05-18 23:06)
全然不勉強な私には、パスティーシュというものがあるという事も
コナン・ドイル財団の活動ということも、びっくりだったのですが
ドイル著書作品ではなくても、認定されたり、作品が受け継がれていくというのは
作品にとっても、それを支持している方達にとっても幸せなことですね。
勿論、作者にとっても喜ばしい事なのかもですけどね。
そうしてホームズ作品が愛され続けていくのでしょうね。
Yuseumさんのように愛に溢れる方の熱い思いを聞いていると
本当に惚れられてて素敵だなと思えます☆(^w^)
by aya_rui (2013-05-21 20:57)
はじめまして。こんにちは。
絹の家を読み終えて、他の読者の方の意見が知りたくてさまよっておりましたらこちらにたどり着きました。長編ながら、最後までハラハラしながら一気に読み終えることができました。
以下、完読直後のネガティブな部分の雑感です。
1.巻頭で、ワトスンの近況を推理するホームズの説明は、かなり無理(飛躍)があるのではないか?
2.ホームズがアヘン窟の外で発見されてからの部分は、演出が派手すぎないか?この部分は新聞記事にもなっているのに、他の作品には(当然)触れられてもない、というのは不自然すぎないか?
3.ホームズ物語の登場人物を積極的に登場させる方針を採用したことにより、警部や教授など数人に関しては人柄等の印象が大きく変わったが、やりすぎではないか?
皆さんのご意見をお聞かせいただければ幸いです。
よろしくお願いします。
by しんちゃん (2013-05-28 16:28)
こんばんわ〜〜♪
ご無沙汰していますぅ〜〜(汗。
仕事などでバタバタしていまして、
お邪魔するのが遅れてしまい、すいません。。。
今後とも宜しくお願い致しますぅ〜〜♪
そして、源氏物語ミュージアム!!
なかなかのパンチですよぉ〜♪
(o°▽°)oニパッ (o_△_)oゴロン(o°▽°)oニパッ
by rafaero (2013-06-04 20:17)
ご無沙汰しております。札幌からTOQです(^^)/
ワタクシの留守中にご訪問いただき、ありがとう
ございました。たまに帰京しても、皆様のところに
お邪魔する時間がとれませんので、今日は札幌
の駅前のネットカフェから参戦しております。
とり急ぎ、niceありがとうございました御礼まで。
by TOQ (2013-06-12 20:19)
>aya_ruiさん、いつもコメントありがとございます[わはっ]
シャーロック・ホームズという作品が手を替え品を替え拝見できるのは楽しいです((o(´∀`)o))ワクワク
by Yuseum (2013-06-28 15:13)
>しんちゃんさん、初めまして。コメントありがとうございます。
さて、「ネガティブな部分の雑感」ですが。
1.もともとホームズの推理は正典でも論理の飛躍が多いので[たらー]
例えば、『青いガーネット』とか。
でも、そういう「様式美」がいいんですよね。
2.「他の作品には(当然)触れられてもない、というのは不自然」というのは同感。
結構センセーショナルだったでしょうから。。。
3.レストレード警部については、ワトスンがホームズを引き立てるために自分を卑下するのと同様、実際にはそれなりの能力はあるのに正典では不遇な扱い、だと思っていますので、あれくらい持ち上げておいてもいいと考えています。
教授についても、ああいうセンスを持っていたとしても違和感はないという感想です。
…ただ、ワトスンが教授のことを隠し通せるかは甚だ疑問ですが。
by Yuseum (2013-06-28 15:27)
>rafaeroさん、コメントありがとございます(^^)
源氏物語ミュージアム、行ってみたいですε≡≡ヘ( ´∀`)ノ
>TOQさん、お忙しい中でコメントありがとでした〜[にこっ]
by Yuseum (2013-06-28 15:30)