ナイオ・マーシュ『オールド・アンの囁き』;"正義の天秤"は『裁きの鱗』 [Mystery]
14年ぶりの翻訳刊行、ナイオ・マーシュ
アガサ・クリスティー、ドロシー・L・セイヤーズ、マージェリー・アリンガムとともに、イギリス四大女性作家、いわゆる〈ビッグ4〉(注1)のひとりに数えられているナイオ・マーシュ。
しかしながら、日本での位置づけはというと、(クリスティーは別格として、)最近品切れが目立つようになったとは言え、ピーター卿シリーズの長編が創元推理文庫ですべて刊行されたセイヤーズ、まだまだ日本未紹介の作品もあるとはいえ、2010年代にキャンピオン氏の日本独自短編集が編まれ、12年待った代表作が刊行されたアリンガムに比べると、翻訳に恵まれているとは言えません。
2006年にはマーシュの"Death and the Dancing Footman"が論創社さんから出る……と予告されていましたが、ペンディングになったようで(ノД`)(注2)
しかしながら、日本での位置づけはというと、(クリスティーは別格として、)最近品切れが目立つようになったとは言え、ピーター卿シリーズの長編が創元推理文庫ですべて刊行されたセイヤーズ、まだまだ日本未紹介の作品もあるとはいえ、2010年代にキャンピオン氏の日本独自短編集が編まれ、12年待った代表作が刊行されたアリンガムに比べると、翻訳に恵まれているとは言えません。
2006年にはマーシュの"Death and the Dancing Footman"が論創社さんから出る……と予告されていましたが、ペンディングになったようで(ノД`)(注2)
で、『オールド・アンの囁き』がこの5月に論創社さんから出たわけですが。。。
実は、これに先立つこと4月、自費出版をサポートする風詠社さんから、ナイオ・マーシュの『裁きの鱗』というタイトルの本が刊行されたのです。
どちらも原題は"Scales of Justice"。
つまり、同じ作品の翻訳が相次いで出版されたのです。
クラシック・ミステリ玉手箱のストラングル・成田さんは、この現象を「コマドリ姉妹現象?」と命名されていますが(注3)
実は、これに先立つこと4月、自費出版をサポートする風詠社さんから、ナイオ・マーシュの『裁きの鱗』というタイトルの本が刊行されたのです。
どちらも原題は"Scales of Justice"。
つまり、同じ作品の翻訳が相次いで出版されたのです。
クラシック・ミステリ玉手箱のストラングル・成田さんは、この現象を「コマドリ姉妹現象?」と命名されていますが(注3)
ナイオ・マーシュ『裁きの鱗』(風詠社)『オールド・アンの囁き』(論創海外ミステリ) ずっと訳されてない作品が同時期に別の版元から出る現象は何と呼べばいいか。『誰がコマドリ〜』にちなんで、コマドリ姉妹現象?長い時間をかけて訳した訳者も辛いものがありそうだ。でもファンは両方買うよね? pic.twitter.com/Rle2WukRNV
— ストラングル・成田 (@stranglenarita) May 17, 2021
残念ながら、『裁きの鱗』の方は2021年6月現在、購入できません。(注4)
※参考)2022年6月現在、Amazon等で購入できるかもしれません。
※参考)2022年6月現在、Amazon等で購入できるかもしれません。
私の場合、
「両方買うのはなあ(´ε`;)ウーン…」
と思っていたら、『裁きの鱗』が品切れになったので、論創社の『オールド・アンの囁き』で"Scales of Justice"を読みました。
「両方買うのはなあ(´ε`;)ウーン…」
と思っていたら、『裁きの鱗』が品切れになったので、論創社の『オールド・アンの囁き』で"Scales of Justice"を読みました。
さて。
この原題"Scales of Jutice"というのは、「正義の天秤」、すなわち、正義の女神が持つ天秤を指すのですが(日本の最高裁判所などにも「正義の女神」像があり、司法の公正さを表す象徴となっていますよね)、実は本書のScalesには二重の意味が含まれています。
『オールド・アンの囁き』の翻訳者である金井美子さんは「訳者あとがき」にて、
この原題"Scales of Jutice"というのは、「正義の天秤」、すなわち、正義の女神が持つ天秤を指すのですが(日本の最高裁判所などにも「正義の女神」像があり、司法の公正さを表す象徴となっていますよね)、実は本書のScalesには二重の意味が含まれています。
『オールド・アンの囁き』の翻訳者である金井美子さんは「訳者あとがき」にて、
「気になるかたは作品読了後に、辞書を引いてみていただければ」
と記されていましたが、、、
……ここまでお読みになった方はお分かりですよね
……ここまでお読みになった方はお分かりですよね
四つの旧家が住む、スウェヴニングズという美しい村。村の名士のハロルド・ラックランダー卿がカータレット大佐に自叙伝の原稿を託し、「ヴィク」という謎の言葉を残して病死する。数日後、大佐が頭を殴られて殺され、そのかたわらには地元の釣り人のあこがれである巨大魚、オールド・アンの死体も転がっていた。
「オールド・アン」とは魚のマスのことですね。
最初、登場人物と地名(と猫の名前ミャー)がウワァーっと出てきて、混乱しそうになるのですが、冒頭に記載のある「主要登場人物」とも照らし合わせながら読んでいけば、丁寧に人物や地名描写がなされているので、わりとすんなり頭に入ってきます。
最初、登場人物と地名(と猫の名前ミャー)がウワァーっと出てきて、混乱しそうになるのですが、冒頭に記載のある「主要登場人物」とも照らし合わせながら読んでいけば、丁寧に人物や地名描写がなされているので、わりとすんなり頭に入ってきます。
事件が起こってからは、いよいよロンドン警視庁犯罪捜査課の主任警部、ロデリック・アレンが登場。
彼はイギリス上流社会の血を引く高貴な生まれで、オックスフォード大学の卒業生、当初は外交官としての道を歩んでいたという経歴の持ち主。
(その時の縁もあって、サー・ハロルドの妻であるラックランダー夫人から今回の事件捜査に指名されます。)
彼はイギリス上流社会の血を引く高貴な生まれで、オックスフォード大学の卒業生、当初は外交官としての道を歩んでいたという経歴の持ち主。
(その時の縁もあって、サー・ハロルドの妻であるラックランダー夫人から今回の事件捜査に指名されます。)
アレンの捜査方法は「散らばった証拠を拾い集め、全てのものを並べてみて、犯罪の型を決める」というオーソドックスなもの。(Aga-search.comより)
部下のフォックス警部らとともに、現地の警察と合流したアレンは、今回の事件もその捜査方法に従っているようです。
サー・ハロルドが残した回顧録に記された「ある事件」について、事件関係者の誰もが口をつぐむ中、アレンは地道な捜査を続け、死んだ大佐その人とオールド・アンが示唆する意外な手がかりから、ついには謎を解き明かします。
決して派手な作品ではありませんが、地方の小さな村で起こった、多彩な登場人物が織りなす事件。英国の古典推理小説が好きな方なら、きっと楽しめることでしょう。
部下のフォックス警部らとともに、現地の警察と合流したアレンは、今回の事件もその捜査方法に従っているようです。
サー・ハロルドが残した回顧録に記された「ある事件」について、事件関係者の誰もが口をつぐむ中、アレンは地道な捜査を続け、死んだ大佐その人とオールド・アンが示唆する意外な手がかりから、ついには謎を解き明かします。
決して派手な作品ではありませんが、地方の小さな村で起こった、多彩な登場人物が織りなす事件。英国の古典推理小説が好きな方なら、きっと楽しめることでしょう。
この『オールド・アンの囁き』は、1955年度の英国推理作家協会(CWA)シルヴァー・タガー賞作品、とオビには記されています。
ただ、1955年当時の授賞は大賞のゴールド・タガー賞のみで、現在のように副賞にあたるシルヴァー・タガー賞は設けられておらず、『オールド・アンの囁き』はその年の次点でした。(最終候補4作の中には残ったが、大賞は逃した。)
なお、マーシュは1957年にも、『道化の死』で英国推理作家協会賞の次点に選ばれます。
この時期は、マーシュが作家として脂の乗り切った時期と言えるのかもしれません。
ただ、1955年当時の授賞は大賞のゴールド・タガー賞のみで、現在のように副賞にあたるシルヴァー・タガー賞は設けられておらず、『オールド・アンの囁き』はその年の次点でした。(最終候補4作の中には残ったが、大賞は逃した。)
なお、マーシュは1957年にも、『道化の死』で英国推理作家協会賞の次点に選ばれます。
この時期は、マーシュが作家として脂の乗り切った時期と言えるのかもしれません。
「私の感想」→『道化の死』(ナイオ・マーシュ)読了!|ミステリ通信「みすみす」blog
『オールド・アンの囁き』は映像化されていて、英国ではDVDも発売されていますが、日本では未発売。
(先ほどの『道化の死』の「私の感想」リンクに、DVD-BOXも掲載しています。Set 2に”Scales of Justice”が収録)
(先ほどの『道化の死』の「私の感想」リンクに、DVD-BOXも掲載しています。Set 2に”Scales of Justice”が収録)
ロデリック・アレンが登場する長編の邦訳リスト
※)ナイオ・マーシュの32作の長編には、全てアレン主任警部(後に警視)が登場しますが、邦訳されたのは(抄訳も含めて)以下の10作に過ぎません。
タイトル前の数字は全長編中の何作目かを示します。
(なお、2018年に未完のアレン警視ものの補筆完成版が刊行されたようで(海外クラシック・ミステリ探訪記より)、それを加えると33作になります。)
タイトル前の数字は全長編中の何作目かを示します。
(なお、2018年に未完のアレン警視ものの補筆完成版が刊行されたようで(海外クラシック・ミステリ探訪記より)、それを加えると33作になります。)
1. A Man Lay Dead (1934) ※デビュー作
2. Enter a Murderer (1935)
『殺人鬼登場』(六興出版部:1957年)→『殺人者登場』(新潮文庫:1959年)
3. The Nursing Home Murder (1935) ※ヘンリー・ジェレットとの共作
『病院殺人事件』(『別冊宝石』:1957年)
『病院殺人事件』(『別冊宝石』:1957年)
5. Vintage Murder (1937)
8. Overture to Death (1939)
10. Death of a Peer (1940) (英版:Surfeit of Lampreys)
16. Opening Night (1951)(米版:Night at the Vulcan)
ヴァルカン劇場の夜 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 337)
ヴァルカン劇場の夜 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ 337)
19. Death of a Fool (1956)(英版:Off With His Head)
25. Clutch of Constables (1968)
『恐怖の風景画』(『カッパまがじん』:1977年、極端な抄訳)
25. Clutch of Constables (1968)
『恐怖の風景画』(『カッパまがじん』:1977年、極端な抄訳)
——
ただし。
フチガミさんのツイートにもあるように、確かにバーナードは「英国の古典探偵小説全体の中でこの四人を〈ビッグ4〉と呼んだ」のであり、男性・女性含めての呼称であることが、上のブログ記事に引用されたイラストの説明文からも分かります。
したがって、それがどうして「イギリス四大女性作家」と限定されるようになったのかは、気になるところです。
したがって、それがどうして「イギリス四大女性作家」と限定されるようになったのかは、気になるところです。
クリスティ、セイヤーズ、アリンガム、マーシュを「英国四大女流ミステリ作家」と呼ぶ表現を目にするが、バーナードは、英国の古典探偵小説全体の中でこの四人を〈ビッグ4〉と呼んだのであって、「女流」に限った話ではないのだが。カーもバークリーもこの四人には人気の点でまったく及ばないのだ。
— S・フチガミ (@fuhchin6491) February 18, 2021
(注2)ただ、論創社さんは今後もマーシュの作品をいくつか翻訳出版されるようです(o^-^)
2021年4月の時点では、その出版候補には含まれていなかったのですが、"Death and the Dancing Footman"の翻訳企画も再始動されたのかもしれません(__)
2021年4月の時点では、その出版候補には含まれていなかったのですが、"Death and the Dancing Footman"の翻訳企画も再始動されたのかもしれません(__)
他方、これはちょっと残念。Death and the Dancing Footman(1941)は、我が国では密室ものの傑作のように言われることがあるが、むしろアリバイもの。マーシュの作品の中ではプロットも含めてやや小粒かもしれない。https://t.co/mCvkBHCBKB https://t.co/MGQ3bMimO4
— S・フチガミ (@fuhchin6491) April 6, 2021
なお、以前書いた拙ブログでは、引用サイトが消えてしまっているのですが、こんなことを記しました。(記事の最後の辺り。)
『パニック・パーティ』と『蠅の王』|ミステリ通信「みすみす」blog
(注3)2015年3月。長らく絶版だったイーデン・フィルポッツの『誰が駒鳥を殺したのか?』が、創元推理文庫から新訳出版されました。
しかしながら、その4ヵ月後。論創社から以下の作品が翻訳出版されたのです。
しかしながら、その4ヵ月後。論創社から以下の作品が翻訳出版されたのです。
この作品は、イーデン・フィルポッツがハリントン・ヘキスト名義で出版した作品で、英題は"Who Killed Diana?"ですが、米題が"Who Killed Cock Robin?"なのです。
英版、米版の間で内容に違いはないようで、こうした出版企画の競合は過去にも例があったことが、論創社版の解説に記されている、ようです。
(「ようです」と書いたのは、私はその論創社版を持っていないものの、真田啓介さんの解説は、先日第74回日本推理作家協会賞(評論・研究部門)を受賞された『真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみⅡ 悪人たちの肖像』で読んだから。)
英版、米版の間で内容に違いはないようで、こうした出版企画の競合は過去にも例があったことが、論創社版の解説に記されている、ようです。
(「ようです」と書いたのは、私はその論創社版を持っていないものの、真田啓介さんの解説は、先日第74回日本推理作家協会賞(評論・研究部門)を受賞された『真田啓介ミステリ論集 古典探偵小説の愉しみⅡ 悪人たちの肖像』で読んだから。)
(注4)『裁きの鱗』は品切れ中ですが、訳者である松本真一さんの翻訳作品のうち、風詠社から自費出版されたものの一部は電子書籍(Kindle)化されています。
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