絹の家 シャーロック・ホームズ

  • 作者: アンソニー・ホロヴィッツ
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 2013/04/27
  • メディア: 単行本
読了しました#59011; 
シャーロック・ホームズとは、今さら説明するまでもなく、コナン・ドイルの記した長編4作、短編56作(これら60作品は正典(キャノン)と呼ばれる)に登場する名探偵。
では、この『絹の家』の特異な点は、作者がドイルではないのにコナン・ドイル財団が初めて公式認定した80年ぶりのホームズ新作である、ということ。
コナン・ドイル財団とは、ドイルに縁のある親族が中心となってコナン・ドイルの著作権を管理している団体。
では、そんな財団公認だから、諸手を挙げてこの『絹の家』をシャーロック・ホームズ61作目の事件に加えて・・・となるかといえば、話はそんなに単純ではない。
 
ま、その話は後回しにするとして。
『絹の家 シャーロック・ホームズ』 The House of Silk は、 なかなかよくできたパスティーシュでした#59120;
(パスティーシュとは、コナン・ドイル以外の作者が極力ドイルの筆致を真似て、まじめに書いたもの。パロディと区別される。)
話の前半は事件の展開が遅く、やや冗長な印象を受けますが、ところどころで挿入されるホームズとワトスンのやり取りや、ワトスンの回想に思わずニンマリ(^.^)
そして、物語の半分、11章あたりから話のテンポもよくなり、14章では「そう来たか!」とシャーロッキアンならwktk(笑´∀`)
最後の20章で、主に2つの事件(謎)が綺麗に収束し、なかなか良かったと思います。
また、「シャーロッキアン的だけれど無意味なことを、なんでここに書いてるの?」というような事柄も後で生かされており、伏線が丁寧に回収されていたと思います。 
 
・・・以上、読後の感想でした。
以下はシャーロッキアンなマニアな記述なので、無視してもいいです^_^;
興味のある人だけ、どうぞ。(『絹の家 シャーロック・ホームズ』のネタバレはないです。) 
 

 上で「ワトスンの回想」と書きましたが、『序』において読者はいきなりビックリさせられることになります。
ホームズがダウンズの自宅で倒れているのが見つかり、偉大なる頭脳が永遠(とわ)の眠りについてから、はや一年が過ぎた。
(゚◇゚)なんと、ホームズはワトスンより先に亡くなっているんです#59138;
(この辺、詳注版シャーロック・ホームズ全集 (ちくま文庫)(全10巻+別巻1、ちくま文庫)で知られる著名なシャーロッキアン、W・S・ベアリング=グールドの以下の本#59045;によれば、ワトスンが先(1929年)に亡くなったことになっているから興味深い。)

シャーロック・ホームズ―ガス燈に浮かぶその生涯 (河出文庫)

  • 作者: 小林 司
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1987/06
  • メディア: 文庫
 そして、「いまは戦時中」とワトスンが記しているので、この『絹の家』は第二次世界大戦中に老ワトスンが当時を回想して執筆しているのです。
「当時」とは1890年11〜12月。 
ただ、この≪ハンチング帽の男と絹の家≫事件は19世紀後半〜20世紀前半に発表するにはセンセーショナルな事件でした。
よく『ヴィクトリア朝の光と影』と言われますが、事件としては影が色濃いので発表は躊躇われる#59057;
ワトスン自身も「忘れたほうがいい記憶」と書いていますが、それでも「いつの日かこの事件を正確に記録し、ホームズの事件簿を完成させたい」というコレクター気質wから、「原稿は厳重に封印してチャリング・クロスにあるコックス銀行へ送り、前から預けてあるほかの個人的な文書と一緒に金庫に保管してもらうつもりだ。
 
このチャリング・クロスのコックス銀行の金庫にある『ブリキ製文書箱』は、シャーロッキアンにはとても有名な書類入れ#59097;
「シャーロック・ホームズの事件簿」Kindle版)所収の短編『ソア橋の難問』The Problem of Thor Bridge の最初にその詳細が書かれています。
そして、この文書箱に収められていたワトスンの手記を、今ここで発表しましょう・・・というパターンは、パスティーシュの常套手段の一つです。


では、時代設定の話が出てきましたので、少々マニアックですが≪ハンチング帽の男と絹の家≫事件の年代学的な考証を少し行ってみましょう(._.)φ

先にも記したように、この事件は「一八九〇年の十一月も終わりに近い頃」に発生したわけで、その前に「ホームズはきわめて残忍で執念深い敵に、自分が瀕死の状態にあると思わせるため、三日三晩、食事も水も一切絶ち、あやうく餓死しかけた」と書かれており、この事件は「シャーロック・ホームズ最後の挨拶」Kindle版) 所収の『瀕死の探偵』The Adventures of the Dying Detective の直後に起こった事件だということが示唆されています。 


ここで、先にご紹介したW・S・ベアリング=グールドによる「シャーロック・ホームズ年譜」をご存じの方なら、
「おや(。)?」
と思うかもしれません。

年代学については、ベアリング=グールドの研究・発表に基づく小説世界内の時系列順が、詳しくまとまっていることもあり最も有名で、例えば、以下の本においてもそれが採用されています。

シャーロック・ホームズ完全解読 (別冊宝島 1965 カルチャー&スポーツ)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 宝島社
  • 発売日: 2013/02/13
  • メディア: 大型本

しかしながら、#59031;の本を見てみると『瀕死の探偵』1887年11月19日(・ω・)?

実は、『瀕死の探偵』が発生した事件の日付は、ワトスンの最初の結婚の年に依存し、ベアリング=グールドは「ワトスン結婚3回説」を提唱しているため、こんなことになっているのです。

『瀕死の探偵』には、「結婚して二年になるわたしのことを訪れてきた(ハドスン)夫人」(日暮雅通 訳)とあり、「霧深い十一月の」(同上)ともあるので、この事件は、
・ワトスンが結婚して2年後の11月
に発生したことが分かります。
問題は、「ワトスンがいつ結婚したのか?」ということですが、この結婚は通常、『四つの署名』The Sign of FourKindle版)で出会ったメアリー・モースタンとの結婚であり、『四つの署名』の事件発生年も諸説ありますが、これは(ベアリング=グールドも提唱している)1888年が有力であるため、『瀕死の探偵』1890年11月の事件という説があるのです。

実際、ベアリング=グールドも『瀕死の探偵』の注釈(詳注版シャーロック・ホームズ全集 (3) (ちくま文庫))において、
ブレイクニー、クライスト、フォルソム、パトリック、ペーターセン、スミス、ザイスラーはこの事件を1890年に起きた事件だとしている。また、ベル、バウチャー、スターレットは1888年という見解をとっている。また、アンドルー、ブレンド、ハリソンは1889年という見解をとっている。しかし小生はただ一人、1887年説をとっている。
・・・というわけで、『瀕死の探偵』の事件発生年については結論が出ていないわけです。

ただ、 『ブリキ製文書箱』のワトスン未発表原稿は戦火で消失したけれど写しを発表するよ〜のスタンスで、「シャーロック・ホームズの秘密ファイル」 (創元推理文庫)などのパスティーシュを執筆したジューン・トムスンは、以下の本#59045;において(明言はしていないものの)『瀕死の探偵』を1890年だとしているし、「新・注釈付きシャーロック・ホームズ全集」(未訳)で有名な米国のシャーロッキアン、レズリー・クリンガー(後述)も、1887〜1890年の諸説があり断定できないとしながらも、一応、1890年に設定しているので、『絹の家 シャーロック・ホームズ』もそれに従ったのでしょう。

ホームズとワトスン―友情の研究 (創元推理文庫)

  • 作者: ジューン トムスン
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1998/10
  • メディア: 文庫
じゃあ、ベアリング=グールドは何故1887年にしているかというと、先に少し触れたようにワトスンはメアリー・モースタンと結婚する前に1回結婚していた、という「ワトスン結婚3回説」を提唱しているからです。 

1891年よりストランド誌に順次公表された『ボヘミアの醜聞』『赤毛組合』『花婿の正体』『オレンジの種五つ』「シャーロック・ホームズの冒険」所収)は一見、『四つの署名』の後に発生した事件のように書かれていますが、そうすると年代学的に辻褄の合わないところが出てくるのです。
そのため、ベアリング=グールドは、
「これらの事件はワトスンの(すぐに亡くなった)先妻との結婚生活の間に発生した事件であるが、公に自分に先妻がいたことを公表すれば、1891年時点で結婚生活中のメアリー(・モースタン)の心を傷つけてしまう。だから、一種のごまかしを行った。そうすれば、『私の妻』と書いても、メアリーや読者は当然メアリーのことだと思うだろうし、 嘘が大嫌いな誠実なワトスンにとっても、嘘を書いているわけではない(`・ω・´)シャキーン」
と考えたわけですf^_^;

ベアリング=グールドはワトスンの最初の結婚を1886年11月と設定しているから、『瀕死の探偵』の1887年と少し矛盾が・・・#59134;という気がしますが、『瀕死の探偵』の原文を読むと、
in the second year of my married life
私が結婚して二年目」だから、あながち間違いでもない#59142;
(そして、天候学的には1887年11月19日は霧深い十一月だったのです。)


もう少し年代学的なことを。
『絹の家 シャーロック・ホームズ』では、地の文においても「私の妻」という表記ではなく、「メアリー」と書かれているのにやや違和感を感じたのですが、これは「ワトスンが少なくとも2回は結婚した」からです。
『絹の家』にもメアリーがその後亡くなったことを示唆する文章があるのですが、これは『空き家の冒険』The Adventure of the Empty House「シャーロック・ホームズの生還」所収)に、
どこで聞いたものか、ホームズはわたしの身に起こった悲しい離別を知っていて、言葉よりも態度で温かい同情を示してくれた。
 『悲しみには仕事がなによりの良薬になるよ、ワトスン。
(以下、略)」(日暮雅通 訳)
と、メアリーが亡くなったことを示唆する文章が挿入されています。

そして、ワトスンがその後再婚したということは、ホームズが執筆した(と言われる)『白面の兵士』The Adventure of the Blanched Soldier「シャーロック・ホームズの事件簿」Kindle版)に、
一九〇三年一月、(中略)。善良なるワトスンはそのころ、わたしを見捨ててと結婚生活を送っていた。それは、わたしたちのつきあいをとおしてたったひとつ思い出せる、ワトスンの身勝手だ。」(日暮雅通 訳)
 "The good Watson had at that time deserted me for a wife, the only selfish action which I can recall in our association."
との記載があることから、判断できます。
(先に挙げた、ジューン・トムスン 「ホームズとワトスン―友情の研究」によれば、もし、ここに書かれた妻がホームズも良く知るメアリー・モースタンのことであれば、"a wife"と素っ気なく書かずに、"his wife"(愛妻)という言葉を使った方が自然である、と主張しています。)

だから、 『絹の家 シャーロック・ホームズ』は先述のように、第二次世界大戦中にワトスンが回想して執筆した作品であるため、結婚が2回か3回かはさておき「私の妻」ではどの妻か混乱するから、「メアリー」と記述しているものと思われます。
・・・とはいえ、"The World of Holmes"というホームページにも記載があるように、 「ワトスン結婚1回説」(メアリー・モースタンのみと結婚)もあるわけです。(→こちらを参照)
それは、先に記した『空き家の冒険』の引用部分を原文で見てみると、
 "In some manner he had learned of my own sad bereavement, and his sympathy was shown in his manner rather than in his words. "Work is the best antidote to sorrow, my dear Watson," said he;~"
つまり、誰と死別したのか明確には書かれていないので、『悲しい離別』とはワトスンとメアリーとの間に生まれた子供のことでは、という説も一応成り立つわけです。 

その真相はさておき、『絹の家 シャーロック・ホームズ』では先にも触れたように≪ハンチング帽の男と絹の家≫事件が解決してしばらく後に、メアリーが亡くなったことを示唆する文章があるので、「ワトスン2回結婚説」に基づいて書かれたものと推察されます。